山本昌から学ぶ年の重ね方

50歳を過ぎても現役として活躍した山本昌

山本昌さんは50歳を過ぎても現役として活躍しており、後輩がチームの監督を務めるような状況で野球を続けていました。

しかし、すべての野球人生で順風満帆だったわけではありません。

むしろうまくいかない時期が多く、特に最初の数年間は一軍にも出られない日々が続きました。

そんな中でへこたれることなく練習を続け、アメリカへの野球留学をきっかけに一気に成長を見せてチームには欠かせない存在になっていきます。

山本昌さんの姿から、これから社会に飛び込んでいく学生や若手が伸びてきて立場的に追い詰められる中堅も色々と感じ取れます。

まずはなかなか芽が出ずに小言を言われがちな若手社員に対してです。

山本昌さんの野球人生に当てはめると、野球留学をした時代が該当します。

その当時の野球留学はその年に戦力として計算されていない選手が行くようなものでした。

現在でいう育成選手の扱いとなって日本のシーズン中はアメリカのマイナーリーグで野球をします。

戦力として認められていないため、多くの選手はやる気がない中でアメリカに行っていましたが山本昌さんはその中でもしっかりと練習を重ねてチャンスをうかがっていました。

さまざまな経験を積んだ山本さん

当時のプロ野球選手にはナイターを苦手にする選手が多くいました。

そのため昼間の試合では活躍できるのに夜になると急にダメになる選手も結構いた時代です。

アメリカでは夜に試合を行うのが当たり前であるため、そうした経験を数多くこなせました。

また当初は敗戦処理などあまりいい立場ではないところで投げていましたが、延長戦でロングリリーフを経験しそこでの結果が良かったために立ち位置を獲得したのも大きかったと言われています。

若手社員に大事なことは、どんな立場でも腐らずに努力を重ねていけばチャンスはつかめるということです。

山本昌さんと言えばスクリューボールですが、元々はスクリューボールが上手かった有名投手に教わって習得したと言われていましたが実際はそうではありません。

実は練習相手だった外国人野手とキャッチボールで遊んでいた際に教えてもらって習得していました。

会社に置き換えれば仕事のやり方をやり手の先輩に聞いたけどあまり理解できず、その時に来ていた派遣社員に遊びの時に教えてもらったようなものです。

その外国人野手はすぐにクビになってチームを去ります。

こうした偶然の出会いが大きく成長するきっかけとなりました。

マイナーリーグで活躍をしメジャーリーグの球団からのオファーもありましたが、その状況を知った球団が急いで日本に呼び戻して一軍で投げさせてアメリカ仕込みのスクリューボールを披露して大躍進を遂げます。

ただそこからはあまりパッとした成績が残せず、再びアメリカに野球留学をして基礎の再構築を行なっていきます。

本当にエースとして活躍したのはその後であり、数々のタイトルを獲得するなど誰もが知る姿へと変貌を遂げます。

プロ入りして10年以上がその時には経っていました。

山本昌さんには目標があった

山本昌さんには目標があり、チームが日本一になるかそれとも自らが200勝を達せさせるかどちらかをクリアすればいいというのがありました。

当時チームは数十年以上日本一になっておらず、自らも200勝に向けてペースを上げないと厳しい状況でした。

そのどちらかが達成できればいいという感じでそれに向けて努力を重ねました。

中堅社員が学べるところは目標設定です。

より一層の努力をしないと達成できない目標と会社が目指している目標をそれぞれ立てて、どちらかでもクリアできるように努力できればどちらかを達成すれば自らの行いはプラスになっていきます。

結果としてチームは日本一を達成し、自らも200勝を達成しました。

現在200勝を達成するのは難しいとされ、次にいつ200勝の達成者が出るか微妙なところです。

そのどちらも達成した背景には年齢を重ねてからトレーニング方法を見直してそれをとことん追求した柔軟性も関係しています。

中堅社員になると自分がやってきたことに自信を持ち、なかなか柔軟性を見せることはできません。

今までの仕事のやり方を捨ててまた一からそのやり方を追い求めたからこそ、2つの目標をそれぞれ達成するほどの成長が見せられます。

200勝を達成するには10勝を20年続けるようなものであり、実に大変です。

重要なのは35歳以降の成長カーブです。

故障で一気に成績を落とし、加齢による衰えもあるためなかなか成長カーブを維持するのは難しいです。

野手ならヒットを打てばよく、味方がエラーをしたからそれが無に帰することもありません。

しかし投手は味方がエラーをして負けてしまえば、無に帰してしまいます。

かといって、野手の援護なしには勝てません。

そのあたりの配慮ができるかどうかも大事な要素です。

若い時は腐らずに頑張る、そして遊び心を持って仕事に励むことが若手時代には求められます。

そして年を重ねても学ぶことを忘れずに柔軟性を持って仕事に励むことが、中堅社員へのメッセージとして響きます。

 

参考文献

山本昌のプロフィール

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